2011年2月18日金曜日
ルドンの「ケンタウロスと龍」
ルドンの「蝶と花」
この「蝶と花」は、板に水彩で描かれています。水彩やパステルを使った作品が多いのもルドンの特徴です。頭の中に浮かぶイメージをすばやく描きとめるには、適した画材だと思います。ルドンは、蝶を繰り返し描いています。昔から蝶は、「死者の魂」の象徴とされています。おそらくルドンは、死のイメージを意識してこの絵を描いたものと思われます。若き頃、妹や弟の死を、ルドンは目にしています。幼い息子の死にも、立ち会うことになります。パステルの粉のように、ルドンの絵は、いつも危うくデリケートなものになります。ルドン自身、蝶のように彷徨しているように見えます。晩年、花を繰り返し描いていますが、この美しい花こそ「母親のイメージ」であり、この絵の片隅にも見られます。ルドンは、幼いときに母親に捨てられています。この『心の傷』が、すべての作品に見られます。わたしは、ルドンの絵に「風」を見ているのかもしれません。
2011年2月17日木曜日
「憂鬱な現場」から生まれた女
わたしたちは日々生活の中で、記憶の中の情景に慣らされてきている。
画家にとっても同じことが言える。眼の前の印象(イメージ)から、解放されることはない。これまでに見てきた情景や印象の多くは、時とともに消えてしまう。澱のように残ってしまった印象が、折り重なり変容して、蘇ることがある。そういった「歪曲化された印象(イメージ)」に刺激され、想像する。意味のわからない刺激こそ「創造の原点」に他ならない。
「歪曲化された印象」というフレーズは、バシュラール(哲学者)が繰り返し使っています。わたしは、多くの夢を絵にしてきました。夢を歪曲してきたかどうかはわかりませんが、スケッチブックやキャンバスに「夢の印象」を描きとめてきました。時折、それら情景や印象が視覚的なイメージを伴い「蘇った」としても、不思議はない。
わたしにとって、アトリエは「憂鬱な現場」である。
この絵のなかの女も、意味のわからない「記憶の澱」から生まれたのかもしれない。
2011年2月13日日曜日
靉光の代表作『目のある風景』
ついでにというわけではないが、靉光の代表作『目のある風景』 も紹介しておきましょう。『馬』も『目のある風景』も、 描かれたものは靉光の分身だと、わたしは思っています。 やせ細った「彷徨う馬」も、気味悪く「冷徹な眼」も、 靉光その人に違いないのです。「靉光」、画名「靉川光郎」、 本名・石村日郎の苦悩は時代の苦悩でもあり、「 孤独な画家そのものの姿」と言わなければならない。 戦時下特有の陰鬱な風の中で、佇む靉光の「純真さ」 がこの作品に見て取れます。ともすると、 その精神が引き裂かれかねない時代状況にあって、 これほどまでに明確な『意志』を描いた絵は見たことがない。 戦時下の画家にとって「抽象表現」は逃避に見られかねないが、 この『冷徹な眼』は時代を明確に射抜いています、 リアルそのものと言っていいのかもしれません。
靉光の油絵『馬』に潜む陰影
画学生(70年安保)の頃、わたしは『萩原朔太郎』 の詩から得た印象(イメージ)を絵にしていました。 同じ頃に靉光の絵を見ていたこともあり、この二人を重ねて( ダブルイメージで)記憶しています。靉光は広島の画家ですが、 上海の病院で「戦病死・享年40歳」しています。 実家に置かれた作品も、被爆で大半焼失しています。ですから、 この『馬』は数少ない遺作の1枚になります。この『馬』 に潜む陰影は、 朔太郎の言葉以上に語りかけてくるものがあります。 当時は眠れない日々も多く、よく「夢にまで表れた絵」 でもあるわけで、わたしには必ずしも「好きな絵」 ではありません。昨晩、何故か「この絵の夢」を見たわけです。 若き頃に受けた影響は、計り知れないものがあります。
モローの「オイディプス」
この絵の主題もギリシア神話をもとに描かれている。イタリアから戻った頃の作品ですので、古典的な手法が多く見られます。
オイディプスは、「我が子に殺される」というアポロンの神託を恐れた父であるテバイ王ライオスに殺されかかるが、家臣に助けられた。成長したオイディプスは、テバイの町に行き、知らずに父を殺してしまう。オイディプスは、怪物スフィンクスに問いかけられた謎を解き、スフィンクスは悔しさのあまり崖から飛び降り、自らの命を絶った。新王となったオイディプスは、何も知らずに実の母を后に迎えるが、やがて全てが明らかになったとき、自らの目を潰して町を去る。
このように手がけた主題(画題)は歴史画や神話画が大半であるが、その解釈は画家独特のものであり、幻想性と宝石細工のような美しさに溢れている。また大作の多くは油彩画であるが、水彩による習作やデッサンなどにも画家の卓越した力量が示されている。1826年、建築家(建築技官)であった父ルイ・モローと音楽家の母ポーリヌ・デムティエの間にパリで生まれ、幼少期からデッサンなどで才能を示す。しかし、画家自身は孤高の存在であった。1888年、美術アカデミー会員に選出され、1891年からはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)の教授となり、20世紀を代表する画家ジョルジュ・ルオーやフォーヴィスムの画家アンリ・マティスらを教える。1898年、癌のために死去する。
モローの「オルフェ」
竪琴の名手オルフェウス。人間だけでなく、動物をも魅了するほど美しい音を奏でた。オルフェウスは、エウリュディケの死後、女をさけていた。トラキアの乙女たちは、オルフェウスをとりこにしようとしたが、彼は見向きもしなかった。ディオニュソスの儀式の時に、女たちは興奮して「あそこに私たちを馬鹿にする人がいる」と。オルフェウスは手足を裂かれ、頭と竪琴はヘブルス川へ投げ込まれた。ミューズの女神たちは、切れ切れの身体を集めて、リベトラに葬った。竪琴はゼウスが星の中においた。幽霊となったオルフェウスは再び黄泉の国へ行って、エウリュディケに出会う。
ギリシア神話を幻想的に描いてきた、モローの代表作品「オルフェ」です。画家だけでなく、詩人や音楽家たちにも影響を与え続けた、数少ない芸術家の一人です。しかし、この画家ほど評価の定まらない人も珍しい。物語性の強い『主題』のせいか、不安定な表現力のためか、優れた画家の一人にはなれません。わたしには、モローの作品に惹かれる個人的理由があります。「過去の想い出」にかかわることで、ここには書けませんが、そのような印象が残像のように個々の絵にあるのかもしれません。映画を見た後の印象に、近いものがあります。
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