レオナルドのノート(手記)は、 観察したことやそれらをもとに試みたことが記録されています。 残された資料は膨大ですが、 そこにはレオナルドの情感がほとんど見られません。 意識的に感情を排除したものと思われます。まれにですが、 メモの中にレオナルドの感情が読み取れる箇所があります。 そのひとつに、チェチリア・ ガッレラーニについて書かれたものがあります。 チェチリアの名前にtu(親しい人につける敬称) をつけて書いている(敬称voiが通常です)。「・・・ 崇高なるチェチリア、わが最愛の女神よ・・・」 と書かれているのです。再び『白テンを抱く貴婦人の肖像』 を眺めていると、成熟した知的な女性の表情が見て取れます。 いくつかのメモから、この賢い少女が、 画家レオナルドのアトリエを訪れていることがわかります。 ルドヴィーコ・イル・モーロは、 この肖像画には代価を払っていません。数年後、チェチリア・ ガッレラーニはルドヴィーコ・イル・ モーロ配下の伯爵家に嫁ぎます。この期間に、 レオナルドは2枚のマリアの絵を描いています。 レオナルドのメモにでてくる『鏡』は「客観的に見ること」 を意味するのですが、ここでは『時間』 を意味するのかもしれません。後年、チェチリアは「わたしは、 あの『肖像画のわたし』ではない」と言っています。
2011年3月2日水曜日
2011年3月1日火曜日
レオナルド・ダ・ビンチの『白テンを抱く貴婦人の肖像』
レオナルド・ダ・ビンチの『白テンを抱く貴婦人の肖像』( ツァルトリスキー美術館所蔵)。肖像画のモデルは、 ミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾チェチリア・ ガッレラーニ。ルドヴィーコ・イル・ モーロには7歳の婚約者がいましたので、 その娘が成長するまでの愛妾がチェチリア・ガッレラーニでした。 そのチェチリアもまだ16歳ですから、 成熟した女性ではありません。この賢い少女の眼差しは、 画家レオナルドをしっかりと見つめています。 この頃のレオナルドのメモに、肖像画が似ているかどうかは『鏡』 を通して見るとわかると書いています。ルドヴィーコ・イル・ モーロがレオナルドにチェチリアの肖像を描かせたのには、 いくつかの意図があったと言われます。そのひとつが『教養』 だったと言われます。レオナルドは、 その知性と優雅な会話術でも群を抜いていましたから。 チェチリアの見つめる視線、 微かに微笑む少女の表情からは多くのことが読み取れるのです。 チェチリアは、おそらく『鏡』を介在して「自分の姿」 を繰り返し見たことと思います。チェチリア・ ガッレラーニがやさしく抱いている「白テン」は、 純潔の象徴とも言われますが、ルドヴィーコ・イル・ モーロの姿かもしれないとも言われています。 真偽のほどはわかりませんが、わたしは後者(寓意) だと思います。
2011年2月27日日曜日
「金沢蓄音器館」にて
昨日訪れた「金沢蓄音器館」ですが、八日市屋浩志さん(山蓄コレクション)の蓄音器540台とSPレコード2万枚を基に開館した施設です。金沢市と創立以降の寄付に支えられて今日にいたるのですが、わたしたち音楽好きにとっては「イメージの宝石箱」です。昨日のピアノライブ「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」もここで行われました。金沢市が育んできた「音楽文化」が、このようなところにも見られるのです。
「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」を聴く
「金沢蓄音器館」、金沢の異空間のひとつ、わたしは「宝石箱」と思っています。ホールというにはあまりに小さい、「サロン」のような空間で、わたしは「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」を聴いた。弦を叩く音が、ストレートに伝わる距離であることに、通常得られない響きと感動が小さな空間を次第に満たしていく。わたしは若い頃から、繰り返し聴いてきた曲、それだけに格別な感情を懐いて聴いていた。大野由加さんはショパン(英雄ポロネーズ・革命のエチュードなど)を、長野良子さんはリスト(ハンガリー狂詩曲・コンソレーション)を、それぞれの解釈と情熱でみごとに弾いてくれました。
(写真はビクターマーク・画家フランシス・バラウドの絵「ニッパー(フォックス・テリア)」を元に作られました・金沢蓄音器館にて)
2011年2月18日金曜日
ルドンの「ケンタウロスと龍」
ルドンの「蝶と花」
この「蝶と花」は、板に水彩で描かれています。水彩やパステルを使った作品が多いのもルドンの特徴です。頭の中に浮かぶイメージをすばやく描きとめるには、適した画材だと思います。ルドンは、蝶を繰り返し描いています。昔から蝶は、「死者の魂」の象徴とされています。おそらくルドンは、死のイメージを意識してこの絵を描いたものと思われます。若き頃、妹や弟の死を、ルドンは目にしています。幼い息子の死にも、立ち会うことになります。パステルの粉のように、ルドンの絵は、いつも危うくデリケートなものになります。ルドン自身、蝶のように彷徨しているように見えます。晩年、花を繰り返し描いていますが、この美しい花こそ「母親のイメージ」であり、この絵の片隅にも見られます。ルドンは、幼いときに母親に捨てられています。この『心の傷』が、すべての作品に見られます。わたしは、ルドンの絵に「風」を見ているのかもしれません。
2011年2月17日木曜日
「憂鬱な現場」から生まれた女
わたしたちは日々生活の中で、記憶の中の情景に慣らされてきている。
画家にとっても同じことが言える。眼の前の印象(イメージ)から、解放されることはない。これまでに見てきた情景や印象の多くは、時とともに消えてしまう。澱のように残ってしまった印象が、折り重なり変容して、蘇ることがある。そういった「歪曲化された印象(イメージ)」に刺激され、想像する。意味のわからない刺激こそ「創造の原点」に他ならない。
「歪曲化された印象」というフレーズは、バシュラール(哲学者)が繰り返し使っています。わたしは、多くの夢を絵にしてきました。夢を歪曲してきたかどうかはわかりませんが、スケッチブックやキャンバスに「夢の印象」を描きとめてきました。時折、それら情景や印象が視覚的なイメージを伴い「蘇った」としても、不思議はない。
わたしにとって、アトリエは「憂鬱な現場」である。
この絵のなかの女も、意味のわからない「記憶の澱」から生まれたのかもしれない。
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