2011年3月4日金曜日

レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿から


『聖ヒエロニムス』が描かれた頃、レオナルド・ダ・ヴィンチは叔父の遺産相続や葡萄園の水利権のことで役所や裁判所に頻繁に行き来している。しかしながら、公証人や知人を間に入れてみるも、なかなか「解決」できずにいる。数か月を要するもまったく進まない交渉時に、「愚かな手続きのために無駄と思える時間を費やしている」と嘆いています。「老人」のスケッチが多く見られるのがこの頃なのです、観察していたのかもしれません。おそらく、レオナルド自身の老いも感じていたのかもしれません。レオナルドは、膨大なノートやメモを整理(後の手稿)し、フランスに行く(都落ち)ことになります。
『聖ヒエロニムス』のところで、わたしは上記のように書き加えました。パリ手稿には、水に関するメモが多く見られます。ミラノの運河計画や分水路(水利)などが知られていますが、アンボワーズ城地域(フランス)のロワーヌ川でも大規模な運河を計画しています。葡萄園の水利権トラブルに見られるように、川(水)の管理は生活に欠かせないものでした。レオナルド・ダ・ヴィンチにとって、水は自然観察の原点に他ならない。おそらく、創造の源泉と言っていいぐらいの「魅力ある対象」だったと思います。晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチは、ロワーヌ川岸をよく散策しています。
自然を観察することからレオナルド・ダ・ヴィンチは、多くのことを学び、新しい発見や創造をしています。野山を流れる川から、生物に優しい「治水のあり方・利水のシステムまで」を考えています。地層から数多く出てくる貝類から、『ノアの箱舟(創世記)』でなく『地殻変動(科学)』を意識するほどの思考過程をこれらの手稿に見ることができます。わたしたちがレオナルド・ダ・ヴィンチから学ぶことは、多いのです。晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチは、何を想い、何を後世に残したのか、わたしたちは謙虚に見直す必要があります。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『聖ヒエロニムス』


『聖ヒエロニムス』、この板に描かれた絵は、長く行方不明でした。顔の部分は、切り取られ、なんと靴屋の椅子に貼り付けられていたのです。今日、この状態で見られることは、奇跡と言っていいのです。しかも、この絵がレオナルド・ダ・ヴィンチの手になるという「裏付けになる資料(確証)」は何もないのです。そのすぐれた素描力と同時期のスケッチなどから推測しているにすぎないのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作として疑う人は誰もいません。わたしは、この絵が好きです。この頃(晩年)のレオナルドは、叔父の遺産相続や葡萄園の水利権のことで役所や裁判所に頻繁に行き来している。しかしながら、公証人や知人を間に入れてみるも、なかなか「解決」できずにいる。数か月を要するもまったく進まない交渉時に、「愚かな手続きのために無駄と思える時間を費やしている」とレオナルド・ダ・ヴィンチはメモを残しています。老人のスケッチが多く見られるのがこの頃なのです、観察していたのかもしれません。おそらく、レオナルド自身の老いも感じていたのかもしれません。レオナルドは、膨大なノートやメモを整理(後の手稿)し、フランスに行く(都落ち)ことになります。

2011年3月2日水曜日

レオナルド・ダ・ビンチの『白テンを抱く貴婦人の肖像』P-2


レオナルドのノート(手記)は、観察したことやそれらをもとに試みたことが記録されています。残された資料は膨大ですが、そこにはレオナルドの情感がほとんど見られません。意識的に感情を排除したものと思われます。まれにですが、メモの中にレオナルドの感情が読み取れる箇所があります。そのひとつに、チェチリア・ガッレラーニについて書かれたものがあります。チェチリアの名前にtu(親しい人につける敬称)をつけて書いている(敬称voiが通常です)。「・・・崇高なるチェチリア、わが最愛の女神よ・・・」と書かれているのです。再び『白テンを抱く貴婦人の肖像』を眺めていると、成熟した知的な女性の表情が見て取れます。いくつかのメモから、この賢い少女が、画家レオナルドのアトリエを訪れていることがわかります。ルドヴィーコ・イル・モーロは、この肖像画には代価を払っていません。数年後、チェチリア・ガッレラーニはルドヴィーコ・イル・モーロ配下の伯爵家に嫁ぎます。この期間に、レオナルドは2枚のマリアの絵を描いています。レオナルドのメモにでてくる『鏡』は「客観的に見ること」を意味するのですが、ここでは『時間』を意味するのかもしれません。後年、チェチリアは「わたしは、あの『肖像画のわたし』ではない」と言っています。

2011年3月1日火曜日

レオナルド・ダ・ビンチの『白テンを抱く貴婦人の肖像』


レオナルド・ダ・ビンチの『白テンを抱く貴婦人の肖像』(ツァルトリスキー美術館所蔵)。肖像画のモデルは、ミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾チェチリア・ガッレラーニ。ルドヴィーコ・イル・モーロには7歳の婚約者がいましたので、その娘が成長するまでの愛妾がチェチリア・ガッレラーニでした。そのチェチリアもまだ16歳ですから、成熟した女性ではありません。この賢い少女の眼差しは、画家レオナルドをしっかりと見つめています。この頃のレオナルドのメモに、肖像画が似ているかどうかは『鏡』を通して見るとわかると書いています。ルドヴィーコ・イル・モーロがレオナルドにチェチリアの肖像を描かせたのには、いくつかの意図があったと言われます。そのひとつが『教養』だったと言われます。レオナルドは、その知性と優雅な会話術でも群を抜いていましたから。チェチリアの見つめる視線、微かに微笑む少女の表情からは多くのことが読み取れるのです。チェチリアは、おそらく『鏡』を介在して「自分の姿」を繰り返し見たことと思います。チェチリア・ガッレラーニがやさしく抱いている「白テン」は、純潔の象徴とも言われますが、ルドヴィーコ・イル・モーロの姿かもしれないとも言われています。真偽のほどはわかりませんが、わたしは後者(寓意)だと思います。

2011年2月27日日曜日

「金沢蓄音器館」にて



昨日訪れた「金沢蓄音器館」ですが、八日市屋浩志さん(山蓄コレクション)の蓄音器540台とSPレコード2万枚を基に開館した施設です。金沢市と創立以降の寄付に支えられて今日にいたるのですが、わたしたち音楽好きにとっては「イメージの宝石箱」です。昨日のピアノライブ「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」もここで行われました。金沢市が育んできた「音楽文化」が、このようなところにも見られるのです。

「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」を聴く


「金沢蓄音器館」、金沢の異空間のひとつ、わたしは「宝石箱」と思っています。ホールというにはあまりに小さい、「サロン」のような空間で、わたしは「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」を聴いた。弦を叩く音が、ストレートに伝わる距離であることに、通常得られない響きと感動が小さな空間を次第に満たしていく。わたしは若い頃から、繰り返し聴いてきた曲、それだけに格別な感情を懐いて聴いていた。大野由加さんはショパン(英雄ポロネーズ・革命のエチュードなど)を、長野良子さんはリスト(ハンガリー狂詩曲・コンソレーション)を、それぞれの解釈と情熱でみごとに弾いてくれました。
(写真はビクターマーク・画家フランシス・バラウドの絵「ニッパー(フォックス・テリア)」を元に作られました・金沢蓄音器館にて)

2011年2月18日金曜日

ルドンの「ケンタウロスと龍」


ルドンの描く「象徴的な世界」が個人的に好きで、よく取り上げているのです。この「ケンタウロスと龍」は、ギリシア神話から題材を得ています。ケンタウロスが龍と闘っているところを描いていますが、闇の中に浮かぶその姿に、わたしはいつも静寂とむなしさを感じてしまいます。ケンタウロス(下半身が馬で上半身が人の姿)には、きわめて攻撃的(野蛮)なものと、知性を備えたものとがいます。むろん、その両方を持ち合わせたものも多くいたと思います。いずれにしてもギリシア神話では、英雄ヘラクレスの手でケンタウロス族は滅ぼされてしまいます。ケンタウロスの姿の裏に人間の姿をダブらせて見てしまうのは、わたしだけだろうか・・・。