憂鬱な制作現場から生まれる「作品」とは
スケッチブックは、画家にとっての日記です。スケッチブックに描かれた絵は、印象(イメージ)の走り書きのようなものかもしれません。消えてしまうことのない印象も、時にはあるのです。だからといって、わたしの想像の源泉がスケッチブックにないことは言うまでもないことです。これまでに見てきた情景や印象の多くは、時とともに消えてしまう。バシュラール(哲学者)が言うように「創造の原点」は「歪曲化された印象」にあるのですから、記録された印象そのものには意味がないのです。スケッチブックやキャンバスに描きとめた印象は、すでに通常目にする印象に留まっているからです。言い換えれば、「日常の紙魚」にすぎないのです。紙魚のような情景や印象が、視覚的なイメージとして「蘇える」ということは、大変怖いことでもあるのです。アトリエを「憂鬱な制作現場」と表現するのには、それなりの意味があるのです。この絵にしても、明確な制作意図があるわけでもなく、わたしの脳裏をかすめたイメージを捉えたに過ぎない。