2012年3月26日月曜日

画家・長谷川進さんの作品をアメリカに観る

画家・長谷川進さんの試みをアメリカに観る



わたしは、仕事で神戸に行く機会が多い。帰りの時間を空けて、京都に立ち寄ることも多い、大学(金沢美大)時代の友人・長谷川進さんに会うためである。絵を学んだからといって、絵を描き続けている人は少ない、彼はその少ない一人でもある。学生時代の彼は、優れて異質であり、その表現感覚はデリケートそのものだった。裂かれた紙片の微妙な重なり、巧みな空間処理に驚く、その手際の良さ(感覚)は変わらない。その長谷川進さんが、ニューヨーク・アゴラギャラリーに作品を出している。空白の意味を、理解できるだろうか。優れた作品には、見えない風が流れているという、感じてくれるだろうか。

2012年1月15日日曜日

金沢城址公園にて勇壮な出初式を観た


2012年1月8日、金沢城址公園にて、勇壮な出初式を観た。風はさほどない、昨年よりは寒くはない、いやこれはわたしの勝手な思い込みであり、裸はさすがに寒いことだろう。金沢市の消防士には、加賀藩ゆかりの火消しの血(伝統)がある。加賀鳶の血が騒ぐ、寒さに負けない魂があるなどと、勝手なイメージを重ねて見ている。放水の水煙がわたしたちの頭上に迫ってくる・・・一二歩後退る我が身が誠になさけない。



追記・・・加賀鳶はしご上の演技の安全(命綱)が話題になっている。わたしは「江戸火消しの粋」に想いを馳せる一人として、命綱をつけての演技は野暮と・・・しかしながら、時はもはや江戸ではない、「伝統文化」として形だけを残すこともあるのかもしれない。江戸の美意識をそのままに伝えることは難しい、吐く息とともに薄れていくものかもしれない。

2011年12月2日金曜日

オランダ人画家キース・ヴァン・ドンゲン




オランダ人画家キース・ヴァン・ドンゲン、20歳の頃にはオランダからパリに移り住み、マティスを中心とするフォーヴィスムに参加し、力強い色彩と官能的表現で次第に頭角を現した。売れっ子の肖像画家としてパリ社交界の寵児となったドンゲンは、その強い個性と奔放な作風で大いに注目される。1929年の世界経済大恐慌、1933年のヒットラーの登場、そして1936年のナチス・ドイツのラインライト進駐、スペイン内乱と続く、一連の変動の中で、そのような甘い生活は泡沫のように消えて行ったのである。その後のドンゲンは、1968年に91歳で没するまで、南仏のコート・ダジュールに隠棲した。最後まで描き続けたが、かつての官能性も洗練も失われて、老後の余技といった作風に堕してしまった。

わたしがまだ若き頃、一時期「マチスの色彩とその独自の構成」に惹かれていた。同じ頃に、「ヴァン・ドンゲン」の作品を見る機会があった。マチスの洗練された画風のそれに比して、ヴァン・ドンゲンの技法はかなり稚拙に見えたものです。ところが、近頃はその「魅力」に囚われている。冷静でいられない感情が入り込むことで、表現が大きく変化する、制御できないパトスこそが「創作の源泉」ではないか・・・そう思うのです。年齢とともにパトスが鎮静し、それに反比例するように表現技術が習熟する、結果として、線も色彩も画面に心地好く収まってしまう・・・。「綺麗で心地いい絵」が多いことに、気づく。わたしだけでないのかもしれない・・・。

2011年11月20日日曜日

「火消し風俗伊達姿 浮世絵版画(芳賀書店版)」に江戸の粋を見る

「火消し風俗伊達姿 浮世絵版画(芳賀書店版)」に江戸の粋を見る


「火事と喧嘩は江戸の華」、世界有数の大都市「大江戸」は、成熟した文化と裏腹に火災が頻発した都市でもある。そこで活躍したのが、大名火消し(加賀藩・加賀鳶の喧嘩騒動は有名)や町火消し「いろは四十八組・深川十六組」であった。火災騒動で印象深いのは、歌舞伎の「伊達娘恋緋鹿子」、八百屋お七が狂乱状態で櫓の半鐘をうち鳴らす場面、炎に包まれた鐘を打つ娘の振袖と散る桜、その艶やかさがいつまでも目に残っている。江戸文化とは不思議な文化でもある、喜怒哀楽の襞にこういった「美意識」が密やかに育っている、粋でいなせな文化もそこで育まれたものに相違ない。この本に収められている多くは「浮世絵版画」、そういった江戸のエスプリ(精神文化)にわたしたちは魅了されるのである。

2011年9月9日金曜日

「paraparaart.com」のPRアニメーションが新しくなりました

paraparaart.comのPRアニメーションが新しくなりました


わたしたちのホームページ「paraparaart.comのPRアニメーションが新しくなりました。3DCGアニメーションの魅力のひとつが、そのリアルさにあります。しかしながら、リアルさだけを追い求めるだけでは、アニメ特有の「創造の広がり」が得られません。クリエーターは、それが極めて短い「PRアニメーション」であれ、執拗なまでに(仔猫の)動作を観察し、その何気ないしぐさのなかに(仔猫の)気持ちの細やかな変化をも表現する。子猫であれ、少女であれ、老人であれ、それは単なる「キャラクター」ではない、見る人に伝えたい「想い」が創造を豊かにするのかもしれない。

2011年6月20日月曜日

エドゥアルド・ナランホの絵画「夢を育てる空間」



「東北東海岸地域の惨状」「原発事故の恐怖」以降、時折わたしの脳裏を走る絵がある。詩人でもあるエドゥアルド・ナランホの絵画「夢を育てる空間」が、それである。生と死の問題に取り付かれた詩人エドゥアルド・ナランホの絵画は、徹底したリアリズムの手法で描かれる。しかも、現実の狭間に放置されたかのように、それらの多くは空虚そのものである。このスペイン画家「エドゥアルド・ナランホ」は、わたしと同時代(年齢は3~4歳わたしより上ですが)に生きている。この人にも「スペイン画家ダリ」の影響が多少見られるものの、その時代背景が影を落としていることは明瞭に伝わってくる。1960~1980年(わたしたち少年期~青春期)は、視覚的にはかなり刺激の多い時代と言える、言葉を変えれば「シュールな時代」だったのかもしれない。まさに日本が置かれている今の状況は、再び訪れた「シュールな時代」なのかもしれない。むろん、「夢を育てる空間」が意味するところは「謎」ですが、「空虚」を背負う覚悟だけはしないといけない。

2011年3月11日金曜日

HORST JANSSEN (ホルスト・ヤンセン)が残した「絵手紙」

 
ホルスト・ヤンセンもかなりな読書家で、文学はもとより哲学・音楽・歴史と多岐にわたる。絵を描くことは常に考えていることと同義語ですから、その知的好奇心は容易に理解できることです。どこにいても、何かを書いている姿を見かけることが多いと聞きます。これは「ホルスト・ヤンセンが残した絵手紙」です。このようなメモのような手紙が、「気を許していた編集者」に多数送られています。思いついたことを、書き留めていたものと思われますが、すべてが作品のように体裁が整えられていることに驚かされます。