2011年2月27日日曜日

「金沢蓄音器館」にて



昨日訪れた「金沢蓄音器館」ですが、八日市屋浩志さん(山蓄コレクション)の蓄音器540台とSPレコード2万枚を基に開館した施設です。金沢市と創立以降の寄付に支えられて今日にいたるのですが、わたしたち音楽好きにとっては「イメージの宝石箱」です。昨日のピアノライブ「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」もここで行われました。金沢市が育んできた「音楽文化」が、このようなところにも見られるのです。

「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」を聴く


「金沢蓄音器館」、金沢の異空間のひとつ、わたしは「宝石箱」と思っています。ホールというにはあまりに小さい、「サロン」のような空間で、わたしは「ショパンとリスト~祖国へ寄せる熱い思い」を聴いた。弦を叩く音が、ストレートに伝わる距離であることに、通常得られない響きと感動が小さな空間を次第に満たしていく。わたしは若い頃から、繰り返し聴いてきた曲、それだけに格別な感情を懐いて聴いていた。大野由加さんはショパン(英雄ポロネーズ・革命のエチュードなど)を、長野良子さんはリスト(ハンガリー狂詩曲・コンソレーション)を、それぞれの解釈と情熱でみごとに弾いてくれました。
(写真はビクターマーク・画家フランシス・バラウドの絵「ニッパー(フォックス・テリア)」を元に作られました・金沢蓄音器館にて)

2011年2月18日金曜日

ルドンの「ケンタウロスと龍」


ルドンの描く「象徴的な世界」が個人的に好きで、よく取り上げているのです。この「ケンタウロスと龍」は、ギリシア神話から題材を得ています。ケンタウロスが龍と闘っているところを描いていますが、闇の中に浮かぶその姿に、わたしはいつも静寂とむなしさを感じてしまいます。ケンタウロス(下半身が馬で上半身が人の姿)には、きわめて攻撃的(野蛮)なものと、知性を備えたものとがいます。むろん、その両方を持ち合わせたものも多くいたと思います。いずれにしてもギリシア神話では、英雄ヘラクレスの手でケンタウロス族は滅ぼされてしまいます。ケンタウロスの姿の裏に人間の姿をダブらせて見てしまうのは、わたしだけだろうか・・・。

ルドンの「蝶と花」


この「蝶と花」は、板に水彩で描かれています。水彩やパステルを使った作品が多いのもルドンの特徴です。頭の中に浮かぶイメージをすばやく描きとめるには、適した画材だと思います。ルドンは、蝶を繰り返し描いています。昔から蝶は、「死者の魂」の象徴とされています。おそらくルドンは、死のイメージを意識してこの絵を描いたものと思われます。若き頃、妹や弟の死を、ルドンは目にしています。幼い息子の死にも、立ち会うことになります。パステルの粉のように、ルドンの絵は、いつも危うくデリケートなものになります。ルドン自身、蝶のように彷徨しているように見えます。晩年、花を繰り返し描いていますが、この美しい花こそ「母親のイメージ」であり、この絵の片隅にも見られます。ルドンは、幼いときに母親に捨てられています。この『心の傷』が、すべての作品に見られます。わたしは、ルドンの絵に「風」を見ているのかもしれません。

2011年2月17日木曜日

「憂鬱な現場」から生まれた女



わたしたちは日々生活の中で、記憶の中の情景に慣らされてきている。
画家にとっても同じことが言える。眼の前の印象(イメージ)から、解放されることはない。これまでに見てきた情景や印象の多くは、時とともに消えてしまう。澱のように残ってしまった印象が、折り重なり変容して、蘇ることがある。そういった「歪曲化された印象(イメージ)」に刺激され、想像する。意味のわからない刺激こそ「創造の原点」に他ならない。
「歪曲化された印象」というフレーズは、バシュラール(哲学者)が繰り返し使っています。わたしは、多くの夢を絵にしてきました。夢を歪曲してきたかどうかはわかりませんが、スケッチブックやキャンバスに「夢の印象」を描きとめてきました。時折、それら情景や印象が視覚的なイメージを伴い「蘇った」としても、不思議はない。
わたしにとって、アトリエは「憂鬱な現場」である。
この絵のなかの女も、意味のわからない「記憶の澱」から生まれたのかもしれない。

2011年2月13日日曜日

靉光の代表作『目のある風景』


ついでにというわけではないが、靉光の代表作『目のある風景』も紹介しておきましょう。『馬』も『目のある風景』も、描かれたものは靉光の分身だと、わたしは思っています。やせ細った「彷徨う馬」も、気味悪く「冷徹な眼」も、靉光その人に違いないのです。「靉光」、画名「靉川光郎」、本名・石村日郎の苦悩は時代の苦悩でもあり、「孤独な画家そのものの姿」と言わなければならない。戦時下特有の陰鬱な風の中で、佇む靉光の「純真さ」がこの作品に見て取れます。ともすると、その精神が引き裂かれかねない時代状況にあって、これほどまでに明確な『意志』を描いた絵は見たことがない。戦時下の画家にとって「抽象表現」は逃避に見られかねないが、この『冷徹な眼』は時代を明確に射抜いています、リアルそのものと言っていいのかもしれません。

靉光の油絵『馬』に潜む陰影


画学生(70年安保)の頃、わたしは『萩原朔太郎』の詩から得た印象(イメージ)を絵にしていました。同じ頃に靉光の絵を見ていたこともあり、この二人を重ねて(ダブルイメージで)記憶しています。靉光は広島の画家ですが、上海の病院で「戦病死・享年40歳」しています。実家に置かれた作品も、被爆で大半焼失しています。ですから、この『馬』は数少ない遺作の1枚になります。この『馬』に潜む陰影は、朔太郎の言葉以上に語りかけてくるものがあります。当時は眠れない日々も多く、よく「夢にまで表れた絵」でもあるわけで、わたしには必ずしも「好きな絵」ではありません。昨晩、何故か「この絵の夢」を見たわけです。若き頃に受けた影響は、計り知れないものがあります。